スペシャルコラム 

 

 

〜 あの日 あの時 青春野郎 〜

 

 

第31回 「 マスダクラブ」(奈良)

 

 

3年度目の甲子園を目指す男たち・・・★94「天理高校」、04「遊学館高校」-マスダクラブ(奈良)-

のちにナックベースボールチーム(大阪)の主力選手となるあの上宮全国制覇の翌1994年、現マスダクラブ(奈良)の主軸を担う天理高校(奈良)が甲子園に出場している。その10年後、教育実習時代の教え子が遊学館高校の主力として甲子園出場を果たした。

1)吉中和樹 選手 (94年 第76回大会夏の甲子園出場 / 天理)

背番号「14」を背負いランナーコーチャーとして甲子園を経験している。
その後も野球を離れることはなく、現在マスダクラブのエースとして活躍中。
2011年、軟式野球トーナメント「甲子園カップ」で人生2度目の甲子園出場を決めた際、涙を流し部員と抱き合った。
「天理高校時代の忘れ物を取り戻してきます」聖地へ旅立つと、17年越しのリヴェンジ達成。


2)中村和宏 選手  (94年 第76回大会夏の甲子園出場 / 天理)

背番号「4」の二塁手として甲子園に出場。好守の9番打者として猛打の天理の主力を担った。
現在はマスダクラブの攻守の要として若手選手をリードする。
天理時代、同じ釜の飯を食った吉中選手と共に36歳を迎えた。この年になって、もう一度甲子園を目指す喜びは格別だ。

3)大北竜司 選手   (04年 第86回大会夏の甲子園出場 / 遊学館)

背番号「2」を背負い甲子園を沸かせたバットマン。3年夏にはダルビッシュ有選手とも対戦。ストレートの真っ向勝負が繰り広げられた。クリーンナップを張り、打てる捕手としてチームを支えた。大学、ノンプロでの活躍も期待される大器であったが、3年次に壊した肩がドクターストップ。一般就職する形をとり、軟式野球に転向することとなった。

だが、どのようにしてマスダクラブ入団に至ったのか?実は大北選手が中学時代、教育実習生として野球部のコーチにやってきた若き大学生が居た。その男こそ、前述の吉中選手だった。まさに運命の出会い。高校卒業後、吉中選手から桝田典和マネージャーを通じ、今度は軟式野球の世界で共に頂点を目指すこととなった。2011年からは桝田憲治監督の推薦を受け、チームの主将を務めるまでに成長を遂げた。

遊学館時代は350球の居残り打撃練習をしたり、寮の門限ギリギリまで600球を打ち込む猛練習に励んだ。努力の甲斐あって3年次に正捕手の座を掴んだ大北選手。バックスクリーンに映る「2大北」の文字の衝撃は今でも忘れられない。

辛い練習を耐えてきた強さ。責任感が強く、笑顔を欠かさない。甲子園で打ち取られた時も、スキップするようにしてベンチに戻るなどメンバーに暗い顔を見せることはなかった。甲子園で最後の夏が終わった瞬間も、笑顔で、未来ある2年生メンバーの肩を叩き励ました。

★2004年夏2回戦 東北vs遊学館

ダルビッシュ有投手とも対戦 -大北竜司選手<遊学館>-
 

聖地 阪神甲子園球場を目指して...

http://youtu.be/PRLidupc9Y4

 


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<いざ決戦!3度目の甲子園へ>

マスダクラブは2011年、軟式野球トーナメント:甲子園カップで、甲子園球場に返り咲き見事優勝を決めた。
「何度味わっても良いもの」「最高の舞台だった」桝田マネージャーの言葉通り、もう1度、このメンバーで甲子園に立って優勝の喜びを味わおうと、2013年、ストロングリーグに初出場を果たした。
なるか自身3度目の甲子園!奈良県勢初のジャパンカップ出場そしてJC全国制覇を目指す。

甲子園まであと5つ・・・ マスダクラブは7/28(日)、前章「93上宮高校全国制覇」のメンバー要するナックベースボールチームと対戦する。
 

前回甲子園カップ  >>甲子園球場進出を決めた直後のマスダクラブナイン

★スペシャルインタビュー -マスダクラブ(奈良)-
http://www.baseball.gr.jp/13jck/i1.htm

マスダクラブ (奈良)

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2013/7/ 27

 

 

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