スペシャルコラム 

 

 

〜 あの日 あの時 青春野郎 〜

 

 

第4回 「甲子園」

 

 

稿遅れまして申し訳ありません。センタッキーズ鈴木さんより指名を受けました京浜Cブロック所属46ers丹羽です。あまり掲示板にも登場しないので”おまえ誰やねん!”と思われるでしょうが、今後お見知りおき下さいますようお願いします。

もイクターボ土屋さんと同じく特定のひとりに影響を受けた記憶がありません。ダイユウサクという馬のおかげで学費を払うことができ”信は力、いや金なり”と教えられたことがありました。でも馬なのでやめておきます。私にとって”野球”という意味で最も影響を与えた青春野郎はズバリ”甲子園”です。(これまた人ではありませんが・・・)思い浮かぶに、1年生ながら準優勝投手となった東邦・バンビ坂本、鋭すぎるカーブで全国を驚かせた愛工大名電・工藤、入学時から必ず優勝すると言って実現させた横浜高・愛甲、そして、PL学園・KKコンビ。しかし、私が憧れたのは幾多のヒーローでなく、甲子園そのものでした。その青春野郎にいかに影響された青春時代を過ごし、現在に至っているかを書きたいと思います。”自分もあの大歓声のなかでプレーしたい”という夢をいだき、愛知の片田舎から関西のT高校に入学したのは昭和61年。

かし、すぐに愕然とさせられました。同期入部のやつらとの歴然たる体格差、体力差、そして実績の違い・・・。身長170cm足らず、軟式ボールしか握ったことのない軟弱者が通用するほど甘くありませんでした。そして、もちろん心身ともに朽ち果てそうになる練習、寮生活。真っ暗なトンネルにはいった気がしました。しかし、遠くに先に見える”甲子園”という明かりがわたしを突き動かしてくれました。1年生時の夏の全国選手権大会に我が高は優勝し、より”夢”が身近なものになったことも大きな出来事でした。その後、自分では努力したつもりでした。冬場の長距離走では誰にも負けず持久力、体力をつけ、少しでも塁に近づけるよう左打ちにかえたり、より技術を要する遊撃手へ転向したり・・・。しかし3年生時、チームは春夏出場を果たすものの自身ベンチ入りできず”夢”かないませんでした。

くこんな夢を見ました。場所は甲子園、大歓声のなか、ショートを守っています。三遊間の強烈なゴロをさばき一塁へ送球っ!というところでからだが動きません。これは甲子園へ出れなかった悔しさが見させる夢でした。高校卒業後ついこのこの間まで見ていた気がします。

かし、この悔しさが32歳のいまでも野球を愛し、うまくなってやろうと思う原動力になっています。甲子園でのプレーを夢見て邁進した3年間、果たせなかった夢を”草野球”に置きかえて追い続ける今現在。”甲子園”おそるべし!です。(高橋さん風)

タラタラと書いてしまいすみませんでした。以上で終わらせていただきます。次は、京浜Cブロックの同胞、うきうきモンキーズ・阿部さんにご登場いただきます。阿部さんよろしくお願いします。

46ers 広報部長 丹羽 昌久

2002/10/25

 

 

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