スペシャルコラム 

 

 

〜 あの日 あの時 青春野郎 〜

 

 

第1回 「我が永遠の若大将」

 

 

んにちは。第一回執筆の大役を任されましたHeimers高橋でございます。ベタとは思いますが、イクターボ功刀主将に取られる前に、私の青春そのものである、現読売ジャイアンツ監督「原辰徳」の思い出をご紹介したいと思います。

生が野球を始めた昭和56年。一人のスターが巨人軍に入団しました。王貞治の引退、長嶋茂雄監督の解任と入れ替わるようにして入団した背番号8に、人々はそれら全ての暗い話題を払拭させるような過剰な期待をかけてしまいます。それが原辰徳のプロ野球人生、長い栄光と苦闘の始まりでした。小生が初めて念願の東京ドームへ足を運んだのは昭和63年、原にとっては現役生活折り返しの8年目のシーズンでした。チャンスに弱い、頼りない4番打者というイメージが既にマスコミによって作り上げられていました。ドーム初観戦のその試合、原は小生の目の前で2本のソロアーチをかけますが、巨人は12安打を放ちながらその2得点のみ。4対2で大洋に敗れました。今振り返ると、原の置かれた境遇を象徴するような試合だったと思います。原はよく「チャンスに弱い4番打者」という表現をされました。確かに、フツーの試合のフツーのチャンスには弱かったような印象があります。しかし小生が思うには、本当にチームや己自身が追い込まれ、振り返れば断崖絶壁という場面では、ことごく快打を飛ばしてきたはずです。ホントは思い出の場面を数多くご紹介したいところですがスペースの都合で…例えば近鉄との日本シリーズでの満塁ホームランとか、アキレス腱断裂から復帰した試合でのホームランとか…。(一緒に語りあえる方募集!)小生が野球を始めて15年が経った平成7年。原も現役生活15年のキャリアに幕を閉じます。特に引退が噂されはじめた夏場頃からの、彼に贈られたドームに響きわたる大歓声を忘れることはないでしょう。ようやくファンは原の存在の大きさを認めたのです。その年、大歓声に包まれながらのヒーローインタビューで涙した、9月20日の通算380号。そして「国民的行事」と言われたあの「ナゴヤ決戦」から丁度1年後の10月8日、盛大な引退試合で放った通算382号。小生は辛いことがあった時は、この2本のホームランを思い出します。今でも引退試合のビデオを見ると、涙腺が緩みます。ううぅ(涙)。

生がここまで野球と深く付き合い、続けて来られたのも、世代こそ違え、原辰徳という選手と同じ時代を生きることができたからだと信じています。その後の経歴は周知の通り、まさにあのとき誓った「夢の続き」の実現に向けて、一歩ずつ王道を歩んでいます。今後も原監督と共に、一時代を歩んでいける喜びを胸に、小生もまだまだ青春を謳歌したいと思います。(完)
 
2回は、目指せストロングカップ2連覇!目指せ2年連続MVP!イクターボ土屋代表にお願いします。(対戦される京浜D代表の同胞、SENTAさんにもエールをお送りします!!)

Heimers  代表 高橋 和則

2002/10/03

 

 

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